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10/13 一区切り

さて、お久しぶりでございます。いかがおすごしでしたでしょうか。

私のほうはとりあえず一区切りつきましたので、久しぶりにここでつらつらと文章を書こうと思っております。まぁ一区切り着いたといっても悪いほうについちゃったので、あまり喜べないわけですが。

端的に言うと、とある市の福祉関係の求人がありましてね、それに応募してたんですよ。先日、結果が出て見事に落ちたという訳で。

なのでここ数か月はわりかし試験勉強に時間を割いてたのです。まぁ仕事のほうもここ数年からしたら類を見ないほど忙しかったんですけどね。今も現在進行形だけど。

正直なところ、福祉関係の仕事なんてこれまで全くの未経験で、福祉の「ふ」の字も知らなかったんですけど、そんなほぼ負けが決まってるような勝負によう出たなと、ある意味、自分の馬鹿さ加減に関心してるんですけど、だって仕方ないじゃない、やりたかったんだもん。

まぁなんだ、私の中で子供という存在は自分で思っている以上に影響を及ぼしておりましてね、それこそ自分の生き方というか、生業を変えようというくらいのね。私にとっては結構な驚きなのですよ。

きっかけは上娘の保育参観に参加したことです。当時娘は3歳児クラスだったんですけど、その歳特有のものなのかはわかりませんが、とにかく人懐っこいんですよね、子供たちが。

時間的に半日くらいだったんですけど、誰もかれもが話しかけてきてくれて、「一緒に遊ぼう!」と手を引っ張られて、給食の時は「自分で食べ物持ってこい」と突っ込まれたりもしたんですけど、個々の差はあれ、子供たちはみんな生き生きしてるように私の目には映ったんですよ。正直、私には眩しすぎた。

ただ、そんなんを見てると、マスコミで報道されている、自分のせいではないのに不遇をかこっている子供達の事が頭をよぎるんですよ。虐待とか貧困とかで本来あるべきである笑顔を閉ざしている子供達もいるんですよ。

別にマスコミを鵜呑みにするわけじゃないですし、大手マスコミはどうしても「虐待・貧困」という言葉を脚色した感や、ひとつの事柄に特化して周り見えてない感が否めないですけど、もっと地方紙やルポライターの記事を読み込んでいくと思うんですよ。「もうちょっとどうにかならんもんかな」と。

私には別に大きな力はない。義憤に燃えて大きな改革をやろうとはしていない。ただもうちょっと改善することはできるんじゃないかと。それが「もうちょっとどうにかならんもんかな」という言葉の現れ、そして私が市の福祉関係の仕事に応募した理由でした。ま、結局受からなかったんだけど。

例えば、今の世の中って、正社員職を失ったらそれでもうお終いって感じじゃないですか。後は安い給料でこき使われるか。

有効求人倍率が上がっても会社の倒産が少なくなっても、ひとつの職に就いて食い扶持稼げなかったらそれは稼げないなりの生活をするか、ダブルワークをするかになるわけで、さらに介護とか病気になったら、はたまた離婚して片親世帯になったら、それでもう一瞬で生活は変わるわけで、要するに貧困に陥る状況はそこらへんに転がってるんですよね。

それはその世帯全体に影響するわけで、当然子供にも満足にお金をかけられないという状況が発生する。最近あった「相対的貧困」に陥っている女子高生の報道あったじゃないですか。こういう状況は普通に転がってる事例だと思うんですよ。

それに対する政治的影響力がある人物の対応はいかがなものかと、個人的に非常に疑問を持ったのも確かですけど。

さらにその政治家が奨学金制度を勧めていたのが私には「はぁ!?」って感じでしてね。全額無償の奨学金ならともかく、社会経験もないまっさらな高校生に借金を背負わせる奨学金を進める行為は、将来的にさらなる貧困を生む温床にもなりかねないんですよ。奨学金返済で未来が見えない貧乏暮らし。

それをさらっとつぶやくという政治家の行動がすごい苛立たせるんですよね。あまりに現状をしならなさすぎる言葉だと感じます。

少々話は政治家批判になってしまいましたが、こういう金銭的要素が絡む事例は、生活保護費の使いようでもうちょいなんとかなると思ったんですよ。

簡単に言うと子供のいる世帯にもっと手厚い保護ができんもんかと。確かにクソみたいな親が保護費をパチンコ代に使うとかいう話は聞きます。ただそれは少数派がマスコミによってクローズアップされている面が強いのでは、と感じます。

また、高齢者への生活保護費の受給が増えているという統計もあります。しかしここは批判される事を前提で敢えて書きますが、減額にむけての金額の見直しをすべきではないでしょうか。その分、子供のほうを手厚くする。

とあるルポライターの人が、批判を受けるのを承知の上でという前提で、高年層より生産性のある若年層にケアを行き届かせることが重要ではないか、と書いてました。ぶっちゃけ私も同意見です。

これで私は30~40年後の自分に石を投げた事になりました。老後は自分の力で生きていかなければならなくなりました。

今の日本は高齢者優遇社会ですけど、なんでそうなったかというと、まぁ投票率ですよね。世代が高いほうが投票率が高いから、そっちを優遇する施策を出せば選挙に勝てるぞー!というただの数の論理ゲーム。

それが民主主義なのかもしれませんけど、とりあえず議員は三分の一くらいは減らしたほうがいい。

だから選挙権を持ってる若者には選挙に行ってほしいんですよね。若者は自分で自分の首を絞めてることにあんま気づいてないというか。選挙行く奴は意識高い系?それで結構。周りに流されて何もしないなら、周りの雰囲気に媚びないことを選ぶという事を誇りに思え。

まぁ、こういう事をしたかったわけです。受かってたら。他にもしたいことはいっぱいあったけど、それにすぐにはできるとは思ってなかったけど、今でも「もうちょいどうにかなる」ように考えることは無駄じゃないはず。

まぁでも今はなんかほけーっとしてるというか、ここ数か月の仕事しーの、子供の面倒みーの、試験勉強しーのの多忙を極めた生活が意外と心地よかったというかね、まぁ自分が真に向かえる目標を持つってのは良い事だと改めて思ったかな。

とりあえず今はどうするか模索中です。仕事もあんま手ぇつかねぇ。ま、こんな感じの近況報告でした。みなさん、元気してますか?

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5/13 たまに見る

このブログを朝にご覧になる方、おはようございます。昼にご覧になる方、こんにちは。夜にご覧になる方、こんばんは。すでに一ヶ月に一回の更新がいいとこになってる私のブログへようこそ。

私? ぼちぼち元気ですよ。約一ヶ月くらい薬漬けになってましたけど、「苦しい時もあるけれど、私、この街が好きです。」ってキキばりに言えるくらいは元気。

薬漬けってところが少々語弊を生んでしまうかもしれませんが、ただ単に風邪の症状が長引いて蓄膿症併発して、一ヶ月くらい朝昼晩と錠剤飲んでただけです。決してチューチュー注射を打ったりはしてませんよ。

さてさて、私自身がこのブログを見るのも一ヶ月に一回くらいがいいところになってしまってるんですが、一応いろいろチェックはするわけですよ。拍手もらった数とかアクセス解析とか。

そんで相当過去の記事とかに拍手もらってたりすると、「あぁ、こんな前の記事、読んでくれたんだなぁ、ありがとう!」と心ひそかに歓喜するわけです。歓喜するわけです。歓喜するわけです!


まぁ大切なところだったんで三回書いてみたんですけど、その時に拍手をもらった記事を私自身も見返してみるわけです。ついでにここにも張っておきます。よかったら見てやってください。


9/3 あだ名


まぁこの記事はぼちぼちイイ線いってるんじゃないかと思います。今見返しても詰めは甘いけど。

あと、アクセス解析見てたら、検索サイトから私のブログに到達してる方もいらっしゃるのですが、検索キーワードが「波照間島」ってのが結構あるんですよね。

行ってみたいとか思ってる方は結構いるのかな、と思いつつも、ゆうても私のブログは文章のみなので、なかなか想像はしづらいだろうなぁ、とも思ってしまいます。

まぁね、私もなるべく見てる人に想像しやすいように、いろいろ書いてるんですけど、如何せん表現力が乏しかったりするので、まぁなかなか難しいなぁと勝手に思ったりもします。

でも今は結構忙しいんですけど、そんな状況の中でも「たまには文章で何かを表現したい」って欲求が湧く時はあるんですよね。自分や人の心境を文字で表すとか。

私が自分自身で思ってる以上に、文字や文章は自分の中で結構ウエイトが重いものになっているのかもしれません。

そのほか、解析をもうちょっと見てみると、国語の宿題の短文作成に困った中学生達が「短文 繰り広げる」とか検索欄にいれて私のブログを見てるようですね。

もう「繰り広げる」をプロフィール欄にいれてないので、それ以降このようなアクセスは無くなっているようですが。

まぁでもいまさらなんですけど、「繰り広げる」を使った短文を作ってみましょうかね。ま、これも頭の体操みたいなもんですな。


短文①
「父と叔父がじーちゃんの遺産を目当てに、苛烈なる骨肉の争いを繰り広げる。」


うん、笑えない。少々現実味を帯びているし、なんか暗い。



短文②
「炎天下の元、地元の相撲大会で、豪華賞品をめぐって大人達が汗だくになりながら熱い戦いを繰り広げる。」


うん、ちょっと長いし、ぼちぼちイヤな熱さがある。私の頭がチープなのか、「繰り広げる」を使った文章は争いとか競争とかになるなぁ。




短文③
「子供が拾ってきた栗広げる。テーブルに」







もうサイテー。




それではまた。

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4/12 重ねる

一概には言えないんですけど「子供には親である自分を超えてほしい」と思う親は多いんじゃないかなぁ、と思うんですよね。まぁひどく曖昧な言葉で、何をもってして超えたかの基準も人によってそれぞれではあります。

一番解りやすいのは社会的地位でしょう。例えば自分が会社勤めの中間管理職なら子供には取締役になってほしいとか、あと収入も非常に明確に解りますね。

ただまぁ私が考えるにそれが「子供が親である自分を超える」という事には当てはまらない事が多いんではないかなぁ、と思います。

どっちか言うたら「人としてこうあって欲しい」という、かなり内面の部分を重点に置く人が多いのではないか、と考えます。私も娘達に想う事もまぁそのような事です。

まぁしかし私はとても内向的な人でしてね、つつかれるとダンゴムシみたいにまるまっちゃうような人なんですけど、まぁ私が育った所はド田舎だったんで、同級生も少なかったんですよね。18人だった。

だから私という幽霊部員のような存在でも先生はまぁそれなりに面倒を見てくれてたと思うんですけど、まぁ子供の事から影は薄かったな。

私が保育園に預けられてた時に、数人のグループで遊んでた同級生がいたんですよ。私はそのグループに入って一緒に遊びたかったのですが、「一緒に遊んでよ~」という一言が言えない子でね。

おもちゃを持って超すり足でそのグループに少しずつ近づいていった覚えがあります。要するにそのグループの誰かに気づいてもらいたかったけど、結局その時はお声がかからなかったと思う。

まぁそれだけ内向的な子供だったということですよ。そんで話を元に戻すと、娘達にはまぁ私の様にはなってほしくないわけでね。まぁ一種の反面教師みたいなもんなのかな。

上娘はもう半年以内には4歳になりますからねぇ、保育園でその歳なりの人間関係とかもう構成されてると思うんですよ。ただ親の私からは保育園でどんな姿なのかが解らない。

家ではめちゃくちゃお調子者でイタズラッ子なんですが、おそらく保育園での上娘はまた違う表情を見せていると思うんですよ。おそらく気まじめに生きてんじゃないかなぁ、と思います。

なんかそんな想像を勝手にしてると、子供の頃の自分と重なっちゃいましてね、「親の後は追うなよ」と念じるわけです。

あまり心配する事はないのかもしれませんけど、あまり自分の子供の頃はそんなに程度のいい育ち方をしなかったように思えましてね、まぁこれは親とかは関係なく、自分の性格面の問題でね。だから結構気にかかる面をあるのかもしれない。

まぁな~、これからまだどうなるかはわかりませんが、出来得る事はやっていこうと思っております。

とりあえず私が今できる事は下娘の世話をしたがる上娘を上手にできるか監視する事くらいです。まだ力加減が全然わかってないのよね…。ほっぺた突きまわすし。

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3/30 とある出来事

さて、今回は私がブログ更新をサボっていた時に遭遇した出来事をご紹介しましょかね。

ちなみに私はその出来事の当事者ではありません。傍観していただけなので、その出来事の結末は解りかねます。もし結末が解らなくて消化不良を起こしそうなら読み進めることはオススメしません。

では、まずはその出来事の内容を書きます。なるべく私感が入らないように端的に書こうと思います。また細かい所は忘れているので、多少補完していきます。私が感じたことはまた後ほど書きます。それじゃはじめます。




それは年末、帰宅ラッシュが終わった頃の電車の中でした。

座席が電車の横面に沿うように配置されている電車で、座ると自ずと誰かかしらと対面する感じになります。ラッシュが終わったとはいえ、席は埋まっている状態でした。

電車が出発した頃にいきなり怒声が聞こえました。「荷物を網棚の上にあげろや!」と。

怒声が聞こえた方を見てみると、40代くらいのおじさんが、対面に座っていた大学生とおぼしき女の子に向かって先ほどの言葉を発していました。

おじさんが指差す女の子の荷物は、見開いた新聞紙を折らずにそのまま入れられるくらいのボックスファイルでした。女の子はそのボックスファイルを足元に置いていました。

ボックスファイルは軽そうで厚さはありませんでしたが、先述したように見開いた新聞紙が折らずに入れられるくらいの大きさはあります。女の子はそのボックスファイルを両足ではさむように置いていたのです。

ただ大きいので女の子の足元だけで収まるわけもなく、ボックスファイルの半分くらいが通路側に出っ張っている形になっていました。

「通る人の邪魔になるやろが! その荷物さっさと上にあげろ!」おじさんが声を張り上げます。電車内の通路は普段なら人がすれ違えるくらいのスペースはありますが、その荷物で通路の半分は遮られていました。

当の女の子はおじさんをチラ見しましたが、無視してスマホをいじっています。その態度におじさんはまた怒り、「これをあげろ!」と女の子のボックスファイルをトントンと叩きました。

そこまできてようやく女の子が言葉を発しました。

「触んな、死ねボケ」

おじさんはその言葉で火に油を注がれたようで、

「おまえ、今の言葉、侮辱罪にあたるからな! 訴えたるわ!」

と言い放って携帯のカメラで女の子を撮ろうとしたのです。

女の子は顔を隠して撮られまいとしますが、おじさんは席に座ったままの状態からではありますが、執拗にカメラで撮ろうとしつつ、言葉を発します。

「お前、そもそもその荷物、網棚の上にあげとったやないかい! なんでわざわざ下におろして邪魔になるようにおくんよ!」
女の子は多少言葉に詰まった感はありましたが反論しました。
「この荷物を下ろした私なりの理由はある。」
「それはなんや!? 言ってみろ!」
「あんたに言う必要はない。」
「はぁ!?なに言うとんのや! お前の行動でみ~んな迷惑しとんやで!」
「みんなって誰よ?」
「聞いてみよか? こいつが迷惑かけてないと思う人、手ぇ挙げて」
他の乗客は手を挙げず、静観しています。
「ほら、見てみい。みんな迷惑がっとるやないかい。」
「そんなんで手ぇ挙げるわけないし」

こんな言い合いをしつつもおじさんは相変わらずカメラで女の子を撮ろうとしていました。そして業を煮やしたおじさんが立ちあがって女の子に近づいた時です。

おじさんの横に座っていた中年夫婦の奥さんの方が「ダメです!」と声を張り上げました。

おじさんは奥さんの方を見てなにか言おうとしましたが、その前に奥さんの旦那さんが割り込む形でおじさんをなだめようとします。「写真をとるのはやりすぎでしょう」と。

「こいつのせいでみんな迷惑してるんやで!」とかおじさんは反論してました。割って入った中年夫婦に少し矛先が鈍ったようでしたが、女の子を責める事をやめようとはしませんでした。

「君もこのままの置き方だったら迷惑になるから、もうちょっと置き方を変えたらどう?」と中年夫婦に諭されて、女の子はボックスファイルの置き方を変えていました。

そしておじさんに向かって「この子も反省してるから、もうこのくらいにしといたらどうですか。」と、旦那さんが言ったりして、周りもどうにかおじさんを宥めて場を収めようとしていましたが、おじさんの方は興奮冷めやらぬ状態になっていました。

なだめる周囲に対しておじさんは、心情的にはふりあげた拳のもって行き場がない状態のようで、結果そのまま場は進展がなく硬直状態に陥っていました。




とまぁ私が見たのはここまで。後はどうなったかは解りません。想像する事はできるけど。

さて、ここまで読んでいただいた方はこの出来事をどう感じるでしょうか?

女の子の写真を撮ろうとしたのは論外として、さらに言い方はキツイけれども、概ねおじさんに理がある思うのは私だけでしょうか?

女の子は電車内という狭いパブリックスペースで、そんなデカイ荷物をわざわざ最大限邪魔になるように置いていたのです。

もしかしたら他の乗客の邪魔になるのがわからなかったのか?それはそれでいろいろアウトも甚だしいんですが、おじさんの言を信じるなら一旦ボックスファイルを網棚に上げているんですよ。

女の子はこれに対して何も反論はしていませんから、おそらくこれは事実なのでしょう。もしかしたら網棚の奥行きだとボックスファイルが落ちてくるかもしれないという不安が女の子にはあったかもしれません。

だから床に置いたのかもしれませんが、置くとしても最大限邪魔にならないように置き方を考える必要はあったと思います。ここは女の子の落ち度だと私は思います。

あと女の子の発言、「触んな、死ねボケ」はねーわ。完全アウト。小学生か。ここは放課後の学校か。低学年が遊んでいるうちに喧嘩になってブチキレて言うくらいの低レベル発言。ブチキレチルドレン。

おじさんは初手から怒声だったから女の子はカチンときたのかもしれませんけど、いきなりの暴言ですからね。もっと言い方はあった。話をややこしくしたのはこの女の子の発言ですよ。

こういう言葉がすんなり出てくる事自体がどーかしてるんですよ。マジで親の顔が見てみたいと思った。大学生とおぼしき、と書きましたが、どんなに低く見積もっても女の子の年齢は高校生にはなってたはず。

今の高校生の常識は知りませんけど、カチンときたからって「死ね」とかいう言葉を平然と使う常識があるのなら、一度高校中退して幼稚園からやり直した方がいい。もし娘がそんな言葉使ったらガチガチに説教するわ。

まぁここまで女の子の事に関して感じた事を書いたんですが、まぁおじさんのほうもツッコミどころはありますがね。

「荷物が通行の邪魔になるから注意する」一連の行為は理が適ってると思います。ただ一言目から怒声でしたからね、相当女の子にお冠だったのかもしれませんけど。当然私の耳にも届いて、乗り合わせた車両のほとんどの人が見てた気がする。

それにこのおじさん、おそらくはこういうトラブルに慣れていると思います。「こいつが迷惑かけてないと思う人、手ぇ挙げて」という言動がそれを表しています。

何かしらのトラブルで、良くも悪くもも周囲はまずは様子見するでしょう。すすんで足を突っ込む人はいないと思う。

「迷惑かけてると思う人、手を挙げて」と言ってもまず挙げる人はいない。だから「迷惑かけてないと思う人、手を挙げて」と言っても、周囲はまず手は挙げないから、非常にこじつけではありますが、周りを味方にしたというおじさんなりの一種のアドバンテージがとれるのでしょう。

まぁおじさんの声がデカイし言い方もキツイから、結局おじさんをなだめるように周囲がむいて、女の子を庇うようなって「おれが悪いんかい」みたいな感じになってて少々不憫でしたけど、まぁ普通にトラブルメーカーだと思います、このおじさんは。

結果、どちらも切って捨てるような感じになってしまいましたが、女の子の方は注意されるに足る行為をしてたわけで、おじさんはエキサイトしすぎではありましたが、女の子は自分が邪魔に荷物を置いた行為に対して、反論の余地はありません。

変なプライドが出たのか、「死ねボケ」とか言ってる場合じゃありませんよ。そんなプライド後々面倒になるだけだがらさっさと捨てたらいいわ。もし私が割って入ったとしたら、確実に女の子には苦言を呈していましたな。

まぁこんな感じで年末の多忙さで疲れている時にこんな出来事に遭遇したわけですが、みなさんならどうするでしょうかね。ご意見あったら聞かせてください。傍観者に徹した私への批判も受け付けておりますので。それではまた。

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3/28 羨望

もしかしたら前の記事にちょっと書いたかもしれないんですけど、誰でも承認欲求ってのはもってると思うんですよね。

そら人によって欲求が多い少ないはあるとは思いますが、この欲求が全くのゼロって人はいないんじゃないかな、と思います。もしそんな人がいたとしたらそれは人ではなく神だな。

例えばひきこもりで、対人関係が怖いからっていう理由でおこもりになった人がいるとします。

ものすごい安直な書き方で、いらん誤解を招くかもしれないんですけど、そういう人って「人にどう見られてる、どう思われてるか気になってしゃーない」ってことだと思うんですけど、ひいてはそれは「自分はこのように他人に見られたい」という欲求の裏返しじゃないのかな、と思います。

そんで私はというと、おそらく承認欲求は強い方じゃないかと思います。

例えば最近は特定のジャンルの仕事を持っていなかったとしても、自分で作詞作曲した曲を動画サイトでアップしたり、自分で書いた絵とか、撮った写真とかをアップして不特定多数に公開できるじゃないですか。

そういうサイトで人が自作した曲を聞いて自分が気に入ると、「あぁ、素敵な曲を作れる才能って羨ましいなぁ」とか思う訳です。その曲に付いた賛辞のコメントとか見たりすると、「こういう風に人に認められる事は羨ましいなぁ」と思う訳ですよ。

私が思うに音楽とか絵とか写真とか「見聞きしてほんの数秒で、その人の好みかそうじゃないか」が決まるんですよ。長くても数十秒だと思う。

それは見聞きした人の琴線にどれだけ瞬時に触れられるかってことなんでしょうけど、それが多いって事はそれだけ人に認められているっていう事じゃないのかなぁ、と思うんですよ。

うん、一瞬で人の心を掴むってすげーと思う。そしてそうなってみたいな、とも思う。

もうちょい解りやすく言ったら、結婚式の二次会で余興とか司会、挨拶を任される人ってそれだけ新郎新婦の信頼が厚いって事を端的に表していると思うんですよね。信頼できない奴にそんな大事を任せる事はできないでしょうし。そういうのをたまにはしてみたいとも思う。

いや、頭ではわかってるんですよ、ホント。やっぱそれってその前から築き上げてきた人との信頼関係ってのが重要になってくるから、私はそこまで社交的でもないですし、どれだけ多くの人と信頼関係を築けてきたかというと、ゼロって事はないけど、まぁそんなにいないわけでね。だから致し方ない部分はあると思う。

「隣の芝生は青い」

まぁ結果的には多くの人と信頼関係を築けている人を「羨ましがっている」だけなのかもしれませんなぁ。それに浮き沈みはあれど「何か違う事をしてみたい」という欲求もあるのかもしれません。

これは歳を重ねるごとにこういう欲求ってのは強くなってきたかもしれません。曲がりなりにも昔に比べたら視野は広くなってきていろんなものが見えてきたのでね、やっぱ「それいいな」っていう羨望ってのが多くなってきたのかも。

まぁね、でもちょっと前向きな見方をすればおそらくは他人を見て羨む私がいるように、私を見て羨んでる他人も中にはいると思うんですよね。

自分が持っているものは自分では「たいした事ない」と思ってますけど、他人から見たらそれは「たいした事ある」ものかもしれませんし。まぁそれも「人に認めてもらいたい」という承認欲求の部分が入ってくるのかもしれませんけどね。

しかし心情を伝えるってのは難しいもんですね。こうやって書いていくと改めて思います。表現するのが難しいというか。そんで表現のしかたもイマイチ陳腐なんで、まだまだ言葉を知らんなぁ、と自戒するのでした。それではまた。

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