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9/2 ふと思い出話 ~波照間島編 その4~

波照間島編もこの回でラストにしますわ~。長々とすんません。つづきどおぞ。

丸一日波照間島を満喫、といってもニシ浜でぼーっとしていた事が多かったのですが、次の日に島を発つ事にしました。まぁほとんど何も考えていなかったので、頭のリフレッシュにはなったかもしれん。

次の日、朝飯を食べ終え、宿主のばーちゃんにお金払ってお礼をいいます。ばーちゃんはにこにこしながら「またおいで。」と言って売り物の絵ハガキのセットを私にくれました。

ばーちゃんには当たり前にやってる事なのかもしれませんが、こういうのを迷いなくすっとできる人がどれだけいるか。再訪することは叶ってはないのですが、絵ハガキは今でもしっかり持ってます。

宿を紹介してくれた女性はまだ滞在してて、私はさよならとお礼を言います。まぁね、ここでちょっと浮いた話になってもよかったのかもしれないですけど全然なし。

「こ~のまま~、君~だけを~、奪いさりたい~」とかDEENばりに歌ってもよかったのですが、当時の私ではそんなん思いつきもしなかったわ。今だったらできると思う。

まぁそんなこんなで、この「のどかの極致」ともいえる島ともお別れです。高速船に乗ってまた二時間弱。今度は横になって船酔いをしませんでした。

そして石垣島に着いて空港を目指します。なんか石垣島とすごく都会に見えましたよ。空港に着いたら、関空(たしか当時は関空発着だったと思う)行きがあります。チケットを購入。学割で半額です。

実は石垣から香川・高松に行ってやろうと、またもや行きあたりばったりの事を考えていたのですが、あえなく満席。こればっかりはしゃーないな、と思い、関空行きのチケットを買ったんですよ。

しかしあの時は全然後先考えてなかったなぁ。高松行ったとしても、私には縁もゆかりも全然ない土地だったんで、当てなんか全くなかったんですよね。高松から関西への帰りの事も全然考えてなかった。あの頃の若さが欲しい。いや今でも十分若いけどな。

それで出発まで空港内をでかいザック背負ったままうろうろしてると、同じようなザック背負った女の子二人に声をかけられたんですよ。二十歳くらいの。

「石垣でテント場ってどこにあるかわかりますか?」って聞かれた。私がザックを背負っていたのでテント場の情報をもらえると思ったんでしょう。

「石垣では泊まってないからわからないなぁ。」と答えると「どこから来られたんですか?」と聞かれました。

「波照間島から」と答えると「わぁ~、いいなぁ~!」と羨ましがられました。へへ、そうかぁ?と思いつつ、ふと女の子二人組の後ろに目線を滑らせると、どうも女の子の連れっぽいザック背負った貧相な男二人がこちらを見てました。

あぁ、君ら2対2でテント宿泊ってか。ワイワイ言いながら晩飯作ったりするんだろ。そして「アルコール解禁!」なんて言っちゃってキャイキャイ騒ぎながらオリオンビール飲むんだろ。君らのほうがよっぽど羨ましいわ。

と、沖縄最後の地で、なんやしらん若干打ちのめされて私は飛行機に乗りましたとさ。

まぁ、空港内の出来事も今となってはいい思い出。みなさん長い事お付き合いありがとうございます。

これを書いてたら、八重山諸島再訪欲求がたまってきましたよ。娘がもう少し大きくなったら行ってみるのもいいかもしれませんね。それではまた。

↓一仕事、お願いします。
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9/1 ふと思い出話 ~波照間島編 その3~

いや~、波照間島編もこんなに長くする予定はなかったんですがね、せいぜい2回くらいで終わらすか、と思ってたんですよ。

しかしまぁ蓋を開けてみれば今回含め、あと2回くらいは書くことになりそうです。当初の予定より倍長い。なにぶん私の文才の無さが原因です。

やはりあまり長すぎても読んでるのがしんどいと思うんですよ。私がここらへんで限界かなって思うのが、まぁA4サイズ一枚分くらいの文字数なんですよね。前回なんかそれを少しオーバーしてしまいました。

ま、あまりだらだら書いててもしかたないので、本編いきます。

波照間島滞在二日目は一日島にいる事にしました。宿のレンタサイクルで自転車借りて、それで一日行動します。

出かける準備ができたら、まずは近くの商店へ。ここで昼飯を買おうとします。あとダメもとだったんですが、ほぼ地元で消費されるという「泡波」という泡盛があれば買いたかったんですよ。

ガイドに「幻の~」とか大仰に書いてるからあったら買おうと思ったんですよね。まぁガイドブックに書いてるくらいなんで、まぁないだろな、と思ってましたが、案の定なかった。

まぁ、特にひどく落胆する事もなく、店のおばちゃんが朝に作ったであろうおにぎりとハンバーガーを買いこんで、自転車に乗って爆走します。

集落の中は沖縄らしい、背の低い民家が並んでおり屋根の上にはお決まり、守護神シーサー。その家の周りは石垣に囲まれ、防風林がわりか、背の高い木もまばらに立っていました。

その中を抜け、一路南へ向かいます。最初に目指すは日本最南端の碑。15分ほどで着いたでしょうか。代表的な観光スポットなので、観光客とおぼしき人たちが4、5人くらいいました。

そう、代表的な観光スポットでもたった数人しかいません。まぁまだ観光先として波照間島はマイナーなのかな。日本最南端の碑のいわれとか歴史は各自ネットで調べて。はは、丸投げ。

私は当時まだ結構な流通をしていたインスタントカメラで写真と撮ってました。私は当時でも今でもカメラとかで写真を撮るのは全然しない人だったんですが、この時ばかりは記念に撮っておこうと石垣島で買ってたんですよね。

碑から岩をつたって海沿いまででれましたが、ここは断崖絶壁。ごつごつした岩が外洋の高い波をしたたかに受けてました。

上から海面まで10mくらいはあったかと思いますが、風に煽られて波しぶきが上まで上がってくるんですよね。それだけ波が強い。

あれですよ、船越英一郎が犯人追いつめてる崖みたいなところでした。そして犯人が被害者に対しての悔恨を吐き出して、むせび泣くんですよ。「あいつさえ、あいつさえいなければ、彼女は生きて俺の傍にいたはずなのに…!」ってね。

そこを出発し、しばらく海沿いの道をぶらぶら自転車で走ってた私は、その後、集落近くまで戻り、少し高台になっている、なんとかっていう石碑みたいなところで昼飯を食べます。ここらへん名前覚えてないのが雑なんですけどね。

ちょっと高台なのであたりを見渡せるのですが、相変わらず人がいない…。たま~に車が通るくらい。昼飯食った後にしばらくそこでころがってぼーっとしてました。

途中に学校があったんでちょっと覗いてみたのですが、春休みなのか子供はおらずヤギがいるくらい。ヤギも写真を撮ってやりました。たしか沖縄はところどころヤギを見かけます。なぜかはわかりませんが。

集落にもどると交番発見。パトカーはあるも人影は見えず。ホント人いねーなー、と思いつつ交番を見てると、建物の表側に日本地図が描かれていて、波照間島のところが赤く塗られてました。たしか日本最南端の交番とか書いてあった。

そのほかいろいろ見て回りましたが、結局長居したのはまたもやニシ浜でした。別に海に入るとかはしなかったのですが、砂浜に寝転んで海見てました。なんかそのまま入滅しそうな勢いだった。

こうして一日が過ぎていきました。正直、大したことはしてない。まぁでもそういうのも必要でしょ。心残りだったのは南十字星が見れなかった事。夜に限って天候はイマイチだったんですよ。

まぁそれでも貧乏学生が何泊も滞在する事はできないので、次の日に島を発つ事にしました。

次回がラストです。

↓お願いします。

8/30 ふと思い出話 ~波照間島編 その2~

今日、電車乗ってたらスマホに汚れ防止でサランラップかけてる若者がいましてね、始めてみる光景に私は失笑しそうになりましたよ。

てか保護カバーくらい買えや。せっかくの高機能携帯が台無し。こいつの実家は絶対あらゆるリモコンにラップかかってんな、とひとり想像してしまいましたよ。

さて、今回は波照間島編の続きです。

船着き場からとぼとぼひとり歩いてたんですが、誰とも通りすがらないし遠くにも人は見えないので、ちょっと気を抜いてたんですよね。

そこへ後ろから声をかけられましてね、正直かなり油断してたんですよ。もし声をかけてきたのがレオンみたいなアサシンだったらわしゃ喉かっ切られて死んでたね、ってくらい油断してた。

まぁ実際のところは一人旅してる20代後半くらいの女性でした。いや、西表島で遭難しかけた女性ではないですよ。しかし当時は女性の一人旅が流行ってたのかな?

「こんにちは~」と声をかけられた私は「こんにちは」と返したのですが、油断してたのもあって多分どもってたと思う。

どっから来たの?とかそんなたわいない話をしてたと思うんですが、正直忘れた。顔は今でも覚えてます。お魚さんみたいだった。

そんで今夜の宿の話になって、まだ泊まるところが決まってない私に「今、私が泊まってる民宿にきいてみましょうか?」と嬉しい申し出が。

早速その女性が滞在してる宿に向かいます。女性が宿を経営してるじーちゃんばーちゃんに話を通してくれ、部屋に空きがあったので即決。

お世話になった民宿は「星空荘」。これは実名です。ちなみにこの記事を書くにあたり、まだ存在しているのかネットで調べてみましたが、ちゃんとやってました。ばーちゃんは存命なようです。

それに建物が少し綺麗になってるかもしれん。まぁ畳の上で布団くるまれて寝れるなら、もうそれだけでも上等なのですが。

宿に着いたのがもう夕方前くらいだったのでその日はたいした事はできませんでした。とりあえずまた島の中心地から下ってニシ浜ビーチに行きます。波照間島では観光スポットのひとつです。

しかしまぁ沖縄は相変わらず海が綺麗。もうね、透明度が違う。砂浜に打ちつけるとできる白い波がまたとても濃く感じました。それにニシ浜は砂も細かい。眺めてるだけで時間つぶせそうなくらい。

ニシ浜ではテント張ってる人が何組かいました。民宿に泊まらない人はたいがいこのニシ浜でテント張ります。うる覚えですが、たしかホントはテント張るの禁止で、暗黙の了解みたいになってたと思います。

それでまぁここで書くのもどうかと思ったんですが、私がニシ浜を訪れて半年も経たないうちに、そこで事件が起こり、人が亡くなったんですよね。波照間島では初めての事だったそうです。

私が行ったところで印象深かった場所でもあった為、どうしてもその事をセットで思いだされます。ニュースでも結構大きめに取り上げられてたかと思います。

まぁのどかな離島といっても、都会から来たもんが結局事件を起こすのだったら場所なんて関係ないですね。やっぱ人と為りにいきつくんですよ。

話を戻しますと、結局、夕飯時まで浜に滞在し、それから宿に戻りました。食堂で宿泊客分の食事がセットされているんですが、たしか15人分くらいありました。割と多いなって感じた。

大概は旅行者なのですが、護岸工事かなんかは知りませんが、土方のおっちゃんたちが4、5人いて、ちょっと場違い感があったのが印象的でした。はは、もっと食事なりの事を書けよ、って話ですね。正直、食事の事は忘れた。ははは。

比較的、日が暮れるのは遅いようでしたが、日が暮れればほんの申し訳程度にある街頭以外は真っ暗。まぁあんま出歩くなってことでしょう。まぁ出歩いても何もないでしょうし。

部屋には100円いれたら見れるテレビが。その当時でも何か懐かしいな、と感じれました。確か一時間100円だった。ご丁寧にコピーした番組表もありました。

確かにテレビは春合宿に出た後、全く見ていないのでもう二週間は見てないな~、と思いつつ、番組表を見てると、ジャッキー・チェンの映画がやるじゃないですか。

100円入れて映画を見つつ、途中でブチっと切れるからもう一回100円を入れる為、わざわざテレビ横まで動くという動作をこなしつつ、見てる途中で寝てしまってました。多分船酔いが効いた。

なんか予想以上に長くなってます。とりあえずまた続きます。

↓お願いします。

8/29 ふと思い出話 ~波照間島編 その1~

なんとまぁ今回も沖縄の思い出話ですよ。べ、べつに他にネタがなくて困ってるわけじゃないんだからね!みなさん、お暇なら読んでやってください。

ちなみに15年くらい前の話なんで、書いてる事と現状は違う事があると思いますが、そこらへんはご了承ください。

春合宿の日程が終了し、西表島から高速船で石垣島に戻ると、そこで現地解散となります。一応サークルとしての団体行動はここで終了。ここからは個人の責任のもと動きます。

そのまま飛行機で関西まで直で帰る人もいますが、割と寄り道するメンバーが多いんですよね。フェリーで沖縄本島まで渡って観光する人とか、スキューバダイビングの魅力にとりつかれて、もう一回西表島行く人とか、さまざま。

悪友・高井は九州までフェリーで渡って、鈍行電車で関西まで帰ってました。かくゆう私はもう少し離島に残っていたかったので、有人島最南端の波照間島に行く事にしたんですよ。

サークルの備品であるテントを借りようかな、と少し思ったのですが、一人で持つにはかなりかさばるので、島に行ったら民宿に泊まるか、と決断。見た目はバックパッカーなんですけどね。いわゆるもどきです。

まぁ離島の民宿は当時なら素泊まりで2,000円から高くても2,500円くらい。食事付けても5,000円くらいなんで、数泊なら何とかなりそうだったんですよね。

石垣島の高速船のりばから波照間島行きはでています。高速船でたしか2時間弱くらい。いそいそと乗り込むと平日だったので人はまばら。

船内の客室には普通に座っている人もいたのですが、長椅子に横になっている人も結構いましてね、人が少ないからだろうな~とかその時は思ってたんですよ。

そして定刻に出発。その日は天気がかなりよく、波もおだやかだったんですが、石垣島から波照間島に行くとなると航路は、いうなれば外洋を通ってるもんなんですよ。

想像以上に波が高く、船がゆれるゆれる。大きな波で船が浮いてそのまま叩きつけられるような感覚の状態が結構長い事続くんですよ。ずっとジェットコースター乗ってるみたい。

乗り物酔いをしない私でも結構やばくなりましてね、ゲロンパしそうだった。最後あたりは「早く着け!早く着け!」と祈ってました。長椅子に横になってる人は船酔いしないためだったんだなぁ、とここで思いました。もう遅かったのですが。

何とかこらえて船を降りたら、休憩所があったのでしばらくそこで体力回復。そのうちに一緒に乗ってきた客たちは迎えに来てた車に乗り込んで早々に去っていきました。

観光客の人達は、大概宿泊する民宿の人が迎えにきます。しばらくすると船着き場は私一人になって波の音しか聞こえないという状態に。船着き場だから売店があるとかそんなんないですからね。せいぜい自販機くらい。

ただめちゃめちゃ良い天気で潮風も心地よく、時間がゆっくりと流れていく感覚でした。たいぶ動けるようになったので今晩泊まるところを探そうと動きます。しかし行き当たりばったりこの上ない。

まぁ、万一民宿どこも一杯で泊まれなくても、雨さえ降らなきゃ別に野宿でもいいと思ってたんですよ。砂浜にはテント張れるところがあったし、そこらへんの隅っこでマット敷いてシュラフに入って青空みながら寝るのも乙だな、と。

ちなみに波照間島は島全体が、なだらかな台形上になってて、その台の上の島の中心に集落があります。そこに向かって歩きます。

周りはさとうきび畑ばかり。すこし登れば割と全体を見渡せます。相変わらず海きれい。波は日に照らされてピカピカ光ってました。目に付く人工物はアスファルトと電柱くらい。私以外に人はいなく、とぼとぼ歩いていきます。しかしのどか。

そろそろ集落が見え始めたな~、って思ってた頃に、まさかの後ろから声をかけられました。結構油断してた。

とまぁ長くなったので、続きはまた次回に。

↓続き気になりますよね?(笑) お願いします。

8/28 ふと思い出話 ~食べ物編~

昨日、沖縄の事を記事にしてたら結構いろいろな事を思い出してきましてね、なんやかんやで私の中ではいい思い出なんですよね。

まぁ自己満足でしかないんですが、書いてみたいと思ったんですよ。みなさん、お暇なら読んでやってください。ちなみに15年くらい前の話なんで、書いてる事と現状は違う事があると思いますが、そこらへんはご了承ください。

今回は沖縄での春合宿中の食べ物に関して書いていきます。

とは言え、テント背負ってさまよってる貧乏学生連中なんで、そうそう飯屋で食べる事はできません。ほぼ自炊。その中でもまぁ手軽に食べれる土地の物はおさえておいたんですが。

ちょっと話はそれますが、石垣島で少し田舎の食堂に行くと、定食メニューは何種類かあるのですが、一種類当たりの仕込み量は数食分くらいなんですよね。まぁ絶対数が少ないので客も少ないんでしょうね。

私たち貧乏学生連中は、時には15人くらいの所帯になったりしたので、みんながオーダーしていくと定食メニューが次々売り切れになるんですよ。

唯一、一番数が対応できるのがソーキそば。まぁ値段もリーズナブルなんでよくソーキそば食べてた気がする。

話を元に戻しますと、自炊となると、どうしてもレパートリーは限られてきます。日常生活で食べる様なレパートリーになってしまいがちなんですが、ここで非常に役立ったのがランチョンミート。

たしか2kgくらいの缶にビッチリ入ってて値段が相当安かったんですよ。それになんたって肉ですからね、ちょい癖はありましたが、何かにつけて使わせてもらいました。

単純に火で炙っただけでも普通にうまい。ランチョンミートを適量フォークで差して、コールマンのバーナー使って直に炙ります。ビールや泡盛のお供にもいけるのであっという間になくなりました。

そう、沖縄でビールといえばオリオンビールなんですが、当時、これが安かった。たしか375mlで120円くらい。普通のビールで確か170円くらいしたかなぁ。まだ発泡酒も出てなかったと思います。

そんな価格なんで、縦走終わりとかには、しこたま飲んだ記憶があります。そして泡盛飲んでたら、地元のおっちゃんが乱入してきた事がありましたが、そこはまた別の機会に。

ところで西表島でのテント場が海岸沿いのところがあるのですが、後輩が暇つぶしがてら、釣りを始めたんですよね。

釣りと言っても別に道具がある訳ではなく、50cmくらいの棒に糸垂らして、そこらへんで採った虫を括って餌にした簡単なもんなんですけど、まさかの一匹釣れましてね。青い魚が。

やっぱ沖縄。泳いでる魚も熱帯魚みたいのが結構いましてね。10cmくらいの小さい魚でしたが綺麗な青でした。ただ釣られた人間が悪かった。

その人間はなにより弱肉強食の食物連鎖を信条とする奴らばかりでしてね、えぇ、食べましたよ。海水で煮た。まぁでもね、みんなで分けるとちょっとしかなかったんで、あまり味が分からず。白身でした。

そして岩場にはじじみくらいのサイズの一枚貝がいっぱいいましてね、「ビールのアテになるかなぁ?」と言いつつ、海水で煮た。ほんのり塩味でおいしかった。

そして深夜、みんなが寝静まった後、寝付けなかった私を含む3人が波の音を聞きながらだべったのはいい思い出です。話声が無くなると、波が打ち寄せる音しかしない。なんとも感傷的な時間でした。

とまぁ、最後は綺麗に締めたかもしれませんが、途中から食い荒らしているだけの文章になりました。それではまた。

↓お願いします。
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