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11/20 ご近所付き合い その3

さてちゃっちゃといきましょかね、前回の続きです。

私は自分の家に戻って、この事情を嫁に説明しました。前回にも書いたとおり、高岡さんサイドにそのような事情があって本人の感じ方に差はあれど、全くのウソを言われているわけではありませんので、私達の方でもできるかぎりの音対策はしないといけません。嫁に探してもらうことにします。

さて次の日、仕事が休みだった私は、ビールをかっ喰らいつつ娘と一緒に昼飯食べ、娘を昼寝させた後くらいでした。呼び鈴の音が鳴ります。

来訪者は高岡さんの息子さんと娘さんでした。娘が昼寝した直後だったので玄関先で話すことにしました。こういう時の窓口は息子さんのようですね。

高岡さんがどういう認知症にかかっているか病名を聞きましたが、聞き覚えのない横文字羅列されて正直全然わかりませんでした。まぁ同じ病名でも人によって千差万別でしょうからあまり病名は意味を成さないかもしれませんな。

一人暮らしができる軽度のもののようですが、やはり顕著な症状として、物事に過敏に反応されるようでそれが「被害妄想」のような事に繋がってるようです。

ちょっとつついてみると、高岡さんが前に住んでいたところで隣人とトラブッたようです。原因は騒音ではなかったのですが、今回のように手紙投げ入れて隣人と険悪な雰囲気になったそうです。

まぁなぁ~、今回私達がもらった手紙はA4用紙半分くらいの文章でしたが、おそらく気の短い人だったら怒ると思う。

それにちゃんと読んでみると「それは違うでしょ。」とか「そんな想像でものを言われても困るわ」というツッコミどころが点在してるんですよね。

この手紙を書いた時、高岡さんは怒髪天突くくらい怒り心頭だったのでしょうが、それはそれ、いくら怒っているからといっても、礼を失する文章を書くのはいささか違うのではないか、とは思います。

もしかしたらここらへんにも症状がでているのかもしれませんが、まぁ病気を患ってない人でも「こいつ、頭オカシイんちゃうか?」って奴はいますからね。

そう、私は思うのですよ。いくら認知症を患っているといっても、傍目では正直わからないですし、挨拶交わすくらいでもまったくわからないでしょ。周りからは普通に見えるわけですよ。

そうなると挨拶の時にでも私達からしたら事前に知りたかった、ってのはあります。ただ、認知症っていうのをできるなら知られたくないという心情もあるでしょう。

がしかし、大きなトラブルがあってからでは遅いのです。「そんなん最初から言っとけよ」って詰られるのがオチですよ。

人はひとりでは生きていけない。社会にいるなら必要最低限でも人付き合いってのは必要なのです。ならば必要最低限の人にはそれを告げてもいいんじゃないでしょうか。親きょうだい親戚、それと周りに住んでいる人に。事前に知っているのとそうでないとのは全く違うのです。

どっちにしろひとり暮らしをするならそれなりのリスクはつきものでしょう。なにかトラブって隣人から「そんなんそっち側の都合やろ」って冷たくシャットアウトされたらもう修正できないですからね。そういうのを多少なりとも防ぐ手立てが事前に伝えることなのではないでしょうか。

高岡さんの場合は息子さん・娘さんが近隣に住んでサポートされてるわけですけど、まぁ一緒に住んでたってフルサポートできるわけもないですしな。それに息子さん・娘さん個人の事情もあるわけなので、そのあたりに他人の私が首を突っ込むのははなはだ余計なお世話なのですけど。

まぁ話がかなりそれてしまったんですけど、私のスタンスとしてはご近所さんとはなるべくは事を構えずに、エレベーターとかで会ったら二言三言世間話できるような関係は築いていきたいとは思っております。まぁこれは子供の為でもあるんですけど。

ということで高岡さんともいちいち事が大きくなる様なスタンスでは望みません。それにやはり直接の原因は私達の生活音にあるわけですから。

まぁそんな感じで高岡さんの息子さんにも音対策をする事を約束しました。しかしこの時点で嫁の方はよさげな防音マットを見つけてすでに発注していたのです。そう、できる嫁なのです。わはははは!

まぁそんなことはいいとして、結局なんやかんやしてたら3、4万くらいの出費になりました。まぁネットで見てたらやっぱり小さいお子さんいるご家庭では防音対策する事は割とあるみたいですね。

それに以前は階下は子供3人の5人家族だったから、自分とこの生活音で上階の私達の家の音は気にならなかったのかもしれません。

それが今度は高岡さんひとり暮らしだから必然的に自分とこの生活音は少なくなる。だから余計に上階の私達の音が気になったのかもしれません。

そんで息子さんが「ご不快でしょうから母が出した手紙を回収したい」と言ってきました。私は渡すかどうかは少し迷いました。

ここらへんは私の打算的感情が動きます。ぶっちゃけ言うと後々何かあった時の為にアドバンテージをとっておきたかったという事です。

息子さんの立場的にも手紙は回収したかったでしょう。のちのちいらん火種を残すのは賢くないですから。まぁ結局、打算よりお互いフラットな立場でいようとした私のひとかけらの良心がものを言ったので手紙を渡しましたけど。

まぁそんなことを話しつつ息子さんとの話は穏便にすみました。お母さん関連でのトラブルはすべて請け負ってきたのでしょう。火消しに慣れてるっぽかった。

さて今回はここらへんでやめときます。もうちょい蛇足的なお話が続きます。それではまた。

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11/18 ご近所付き合い その2

さて、前回の続きを書きましょかね。

ある日、帰宅した私に突然嫁から一通の封筒が手渡されました。

「なんやねん」と思いつつも嫁が存外真剣な顔をしていたので、とりあえずその封筒を開くとA4サイズの手紙が入っていました。

何と言うかまぁそれは階下の高岡さんからの苦情の手紙だったわけです。

要約すると「子供の走る足音がうるさい、椅子を引く音がうるさい、物を落とす音が響く、非常に耐えがたい」という内容の手紙でした。わざわざ赤ペンで下線引いて強調してるところまであったよ。ホントはもうちょっとあるけどここでは騒音の苦情に限定しときます。

嫁は生まれた時からマンション暮らしをしていましたが、こういうのは初めてみたいで結構ショックを受けていました。

私の方はもともと一軒家に住んでて、一人暮らしの時でも建物の最上階にしか住んだことがなかったので、上階の音ってのがどれくらい響くものなのか経験はありませんでしたが、「あぁ、しまったなぁ」という気持ちでした。

とりあえずこれをどう処理するか。

人によっては「夜分だから失礼にあたる」と判断されかねない時間帯でしたが、次の日に持ち越してしまえばずるずるとそのままいってしまいそうな気がしたので、取り急ぎ謝罪だけでもと思いすぐに階下に向かいました。

高岡さん家の前まで向かうと、中に人の気配が感じたので在宅だと判断し、呼び鈴を押します。玄関まで出てきたのは高岡さんの娘さんでした。お子さん抱っこしてた。

「ん?この時間に本人不在か?」と少々疑問に思いましたが、とりあえず騒音の件で私が謝罪すると、娘さんは明らかに要領を得ていなく、どうも高岡さんが私達宛に出した手紙の事はまったく知らないようでした。

私が順を追って説明すると、娘さんはちょっと驚いたようで、私の謝罪に逆にかなり恐縮してしまっているようでした。

娘さんは高岡さんが「上の階がうるさい」と愚痴を漏らしていたそうでしたが「小さいお子さんがいるから、多少はしかたないよ。」となだめてくれていたようです。

そして娘さんは「早々にお伝えしないといけないと思っていたんですが…」と言いつつ私が思わぬ事を話しはじめました。

高岡さん、認知症を患っているそうなんです。症状としては被害妄想が強いそうで「その影響もあってそんな手紙を出してしまったんだと思う」と言われ、逆に頭を下げられました。

それを知って私は「だから娘さんはここまで恐縮してしまってるのか」とようやく理解しました。

私が娘さんの立場だったら、自分自身が困っていなくても親が一人暮らししてて騒音に困っているなら、上階の人に「こう言う状況だからなにかしら対策を立ててほしい」と相談をもちかけるくらいはすると思うんですよね。

ただ高岡さんが認知症を患っている事が、言い方はよくないのですが娘さんにとって多少は「負い目」になっているんだと思います。だから逆に「母が苦情の手紙を出してしまって申し訳ない」と思っているのでしょう。

ちなみに高岡さんには息子さんもいて、息子さんも娘さんも高岡さん家の近隣に住んでいて、二人で高岡さんの一人暮らしをサポートしているそうです。

それにまぁ認知症だろうがなんだろうが私達の生活音が階下に伝わっているのは間違いないでしょう。リビングはフローリングだし余計に響いてたと思う。

娘さんの言を信じるなら高岡さんは「被害妄想が強い」せいで我慢の許容が狭いのかもしれませんが、火のない所に煙は立たないからなぁ、私達はやはりなにかしらの対策を講じなければならないわけです。

娘さんは「兄と一緒に母の事を説明したいから」と私が在宅している日を聞いてきました。都合よくその次の日は私は休みだったのでその旨を伝えました。

そして私としては、騒音をなるべく抑えるための対策をする事を娘さんに約束して、とりあえずその場を去ったのでした。

さて次回に続きます。

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11/16 ご近所付き合い その1

ご近所付き合いってのは、まぁ山に籠って仙人みたいに暮さない限りはすべきことではあると思うんですよね。

ただ別にご近所さん招いてホームパーティーするくらい深度は深くなくていいと思うんですけど、挨拶を交わして顔みしりになるくらいはしなきゃいけないと思うんですよね。

引っ越しする時、大まかな地域がらはある程度解るものの、近所にどんな人がいるかなんて解りませんからね。結構運の要素が強いのかもしれませんな。

めっちゃ治安が良いと言われてる住宅地でも、近所に「騒音おばさんみたいな奴が住んでた」なんて事は起こり得ますし、夏場はじいさんが半裸で外歩き回ってるようなめっちゃ下町でも、ご近所さんはとても親切なんて事はあり得ます。

それにもともと住んでいる近所にやっかいな人が越してくるって時もあります。こうなったらもとから住んでいる人はどうしようもない事ですし、対処のしようもすることは限られてくるでしょうし、対処するのにも結構な労力を割かないといけません。

というわけで先述したようにやっぱ運の要素が強いのかもしれません。

とは言え、独り身ならともかくも世帯持ちの人達にとって、ご近所さんをすべて無視するってのはマイナス要因にしかならないと私は思います。

近所で顔を合わすたんびにギスギスするのもめんどくさいですけど、やっぱ防犯面で利点はあるなと思いますから。年齢や服装、会う時間帯でその人がどんな仕事についてるかとか生活スタイルとかだいたい解ってきますから、まぁそれを知っているとの知らないのではこちらの心持ちも違ってきます。

まぁ私の家は小さい子供がいるのでそういうのを意識するのはあるかと思います。それに私の家には小さいお子さんがいるという事をご近所さんに解ってもらっていれば、何かあった時にそれが利点になり得ると思っております。

まぁそんな私のご近所さん私感をだらだらと述べたわけですが、以前、ご近所付き合いでちょっとした事が起こりました。もう半年以上経ったのでそろそろここで書いてもいいかな、と思った次第です。

さて、私が今のマンションに住んで1年くらい経った頃でしょうか、階下には3人くらい子供がいる家族が住んでいましたが、その家族が引っ越されました。

そして半年近くずっと空き家だったのですが、ある時、マンションの掲示板でその階下の空き家にリフォーム工事が入る事が告知されてました。その時は「あぁ、人が入るんだな」と漠然と思ってただけでした。

そのリフォーム会社とマンションの組合でなーんかちょーっとしたイザコザっぽいのはあったみたいなんですが、そこの詳細は私には解りかねますのでこれは完全に余談なんですけど、予定工期の大幅に過ぎた数カ月後くらいにようやく人が入ってきたようでした。

引っ越される数日前、私の家に階下の人が挨拶に来られたようでした。その時私は不在しておりましたが、嫁の話では初老の女性とその娘さんが来られたそうです。そんで実際に階下に住むのはその初老の女性のみ。ここでは仮に高岡さんとしときましょ。

嫁が高岡さん母娘の対応をしていた時、私の娘も玄関口まで来たそうで、嫁は「まだ小さい子がいるので音がうるさいかもしれませんけど、宜しくお願いします。」と言ったそうです。

高岡さんのほうも「わかりました」と了承してくれ、さらに高岡さんの娘さんにも、私の娘と同じくらいの子供がいるそうなので、「音も多少大目にみてくれるかな」と私は勝手に判断していました。

とは言え、無遠慮に部屋で子供がドタドタするのを放っておく訳にはいかないので、バタバタと部屋を走る娘を抑えたり言い聞かせたりはしていました。

ただまぁ当時2歳の娘に「走るな」というのが酷な話。どうしてもすべては抑えきれません。そんなこんなで高岡さんが階下に越してきて3カ月後、ちょっとした事が起きるのでした。

長くなったので次回に続きます。

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11/12 時間

これは当人の気の持ちようでどうとでもなるものなのかもしれませんけど、日々生活してると「時間に追われてんなぁ」とよく思うんですよね。

特に朝はそれを感じるのがかなり強くてですね、実際に娘を保育園に連れて行く時間とか出勤時間とかタイムリミットがあるからそれはしかたのないことなのでしょうけど、時計を見ながら「次はこれして、その次はこれして~」なんて考えてると「あぁ、時間に追われてる、追われてるよ、私」という感じになるわけです。

まぁそれも相まってか、時計を頻繁に見る癖がついてしまってまして、出かけた時も腕時計をするからちょっとの間にチラチラ見るようになってしまったんですよね。

まぁでもこれあんまよくないですよね。前に知ってる飲食店に行った時、その癖が出てしまって「この後、お約束があるんですか?」って聞かれてしまいましたよ。

まぁ手持ちぶたさってのもあったんですが、時計をチラチラ見てる行為はあんまよくないかなぁ、と思いました。別に予定がある訳でもないのに、サラリーマンのランチタイムみたいにあわただしくもないのに。

そんなこんなで日々を過ごしていた私でしたが、半年前くらいに持ってる時計がすべて動かなくなってしまいましてね。

電池切れとか故障とかまぁ理由はいろいろだったんですけど、つける腕時計が無くなった私は「もういっその事、つけるのやめるか」と思い立ちました。

腕を振るだけで時間を確認できる腕時計と、いちいちカバンやポケットから携帯出して時間を確認するのとでは、ちょっとの事ですが手間が違いますから、無意味に時計を見なくなると思ったんですよ。

ただ出かけている時にまったく時間が解らないのは支障をきたすので携帯は持ち歩くようにしています。近場をちょっと行くくらいなら私は携帯不携帯する事がままあるので。

そうやって腕時計がない生活を今まで続けていますが、うん、結構効果ありました。ホントに時間を確認したい時だけ携帯を取り出して確認するだけになりましたよ。

日々の生活は以前とまったく変わらないんですけど、気持ちの面で時間に追われるという事からは少しは脱せたかなぁ、と思ったりしてます。

時間ってのはつくるもんだなぁ、とはちょくちょく思います。ネットで「有意義な時間の過ごし方」とかなんとかいう言葉がよく飛び交いますが、なんか「どれだけ効率よく物事を処理するか」って事に特化してる気がするんですよね。

まぁそれも「時間の使い方」としてはありでしょう。ただキチキチにスケジュール管理された生活が「有意義」に感じるかどうかは当人次第なのです。

私はどっちかいうと「普段の何気ない事柄に時間を費やす」って事が、時間を「有意義に過ごす」事なんじゃないかなぁ、と思う訳です。私的にはそっちにほうがいいってだけですけど。

一番解りやすいのは食事でしょうね。数年前に嫁と2人で3時間かけてランチを食った事がありました。まぁコース料理で酒も飲んでたんですが。

コース料理でもパパっと出されたら、こっちも早く食わないといけないと思ってしまうので、そこらへんの間合いが自分達と合致している店じゃないといけないんですけど、まぁあの時のランチはいわゆる「上質な時間」でしたな。

そう、このような自分にとっての「上質な時間」をつくることが、日々の生活にメリハリをあたえるのです。まぁこれは前にも言ったけど。

どっちにしろ、あんませわしなく時計を見るのは心に余裕がなくなるな、と思った今日この頃でした。それではまた。

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11/10 雑談 その20

う~む、ホントなかなか時間がないですね、更新する時間が。以前は毎日のように更新してましたけど、最近じゃ「ようやってたな」って自分で自分を褒めてあげたいくらいです。自画自賛。

しかしなんか書けないんですよね、なんだろ。

いわゆるあれですよ、例え話をすると自分が好意を持っている女の子に対して、自分の勘違いで責めてしまって、その過ちに気づいて謝りのメールを送ろうとするんですけど、どうやって書けばいいかわからずに、携帯の照明が何度も落ちるっていう状況です。

ちょっと書いてみようという事柄があって書きはじめてみたものの、なんか自分の中でしっくりこない。自分の中で「こう書いてやろう」というのがおりてこないんですよね。

そんで「あーでもない、こーでもない。」と試行錯誤してたら、なんか文章がごちゃごちゃになって穢された感が満載になってしまったんですよね。

そして私は「こらだめだ」と感じて「保存しますか?」というアナウンスに対し「いいえ」を押したのです。

これは時間というより気持ちの問題ですね。例え話をするならちょっと気まずくなってる彼女に対して、日々の仕事の忙しさを理由になかなか連絡をとろうとしないウブな男の心境。

いやいや、心の中ではちっちゃなトゲがささってジンジン痛みを感じるわけですよ。でも耐えられない痛みじゃない。でも放っておくのはもどかしい。でもトゲの抜き方が解らないわけですよ。

でも時間が過ぎれば彼女の不満は募るばかり。「どうして連絡してくれないの?」と言ってきたら「仕事が忙しくて」と言い訳する男はあまりの浅はか過ぎるのです。そう、この場合、仕事は理由にならないのです。

「仕事という免罪符があるんだ」という男達がその免罪符を振りかざし家庭を顧みなかった結果、どうなったと思います?

子供が手を離れたとたんに妻から離婚を言い渡され、さらに退職金の大半を持って行かれ、一人部屋でさびしくカップラーメンをすするという悲しい老後を送る羽目になるのです。

とまぁ一昔前の代表的な熟年離婚みたいになってしまいましたが、さっきのウブな男の例えにしろ、この熟年離婚にしろ、「時間が解決してくれる」というのは通用しません。

まぁその思いから私はこうやってむりくり書いてるわけなんですけど、うん、まぁひどい駄文になりましたね。あぁひどいひどい。論点もずれずれです。「下の下ブログ」にしようかな。


そんなこんなでひどい雑談でした。今回は読まなくていいですよ。





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最初に言えってな。


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Category: 雑談

11/4 恐怖

生まれたての赤ちゃんというのはいわゆる「なにもない」状態です。自我すらもまだ確立していません。自分と周りの境目もあやふやで、どこまでが自分の体かすら解らない状態です。

赤ちゃんは生まれてから初めて母親と対面し、そして世話をしてもらいだんだんと成長していくうちに赤ちゃんは「母親は他者だ」という認識ができてきます。

そして他者の母親に世話をしてもらっているのが「自分なのだ」という認識に至ります。他者を介して初めて自分を認識する。自分と周りの境目ができる。ここで初めて自我が形成されるのです。

それでも赤ちゃんは、色で言えばまだまだ真っ白です。ここから周りの両親・親戚・きょうだいなどの人にふれる事によっていろんな事を吸収していきます。

例えば赤ちゃんは生まれた時から「おばけはこわい」ものだと当然知り得ません。周りからそれを教わるのです。

ここでもし「おばけは友達」と教えれば、もしかしたらこの赤ちゃんが成長して大人になった時、おばけが見えたとしても、「よっ!おばけさん!今日も顔色悪いね!」って気さくに声をかける事ができるかもしれません。まぁ変人扱いされるかもしれませんが。

ただまぁ私が思うに、生活していく上で当たり前になっている社会的常識を子供に教えないという事は、どっちにしろ子供が成長していく上で障害にしかならないでしょう。

ときたま「子供の個性を尊重する」とか言って子供を放任しているバカな親がいますが、その子供に社会的常識が身に付いていないならただ単に親の怠慢です。

社会的常識というのは社会で生きていく上でのあくまで基礎なのです。基礎の上に自分の個性を乗っける事で初めて「自分の個性」というものが周りにも認められるのです。

さて、話を元に戻しますが、私はその時代の社会的常識を鑑みて子供には教えてやったほうがいいと思っております。先ほどの「おばけ」の例えでしたら「おばけはこわい」と教えてやってほうがよいのです。

ただし言葉で教えてやる事と実際に子供が体験する事ではやはり差が出てきます。頭では理解していても経験した事がなければ少し他人事のような感じもします。

では先ほどからでている「こわい」という感覚はどのような体験をすれば身に付くでしょうか?

「おばけ」は少々現実的ではありませんね。親が怒る事で「こわい」という感覚を身につけさせるか?しかし子供が悪さをしなければ怒る事は不必要ですし、子供にとっては理不尽ですし、なにより見ようによっては虐待の3歩手前です。

では、いつも見かける訳じゃないけど身近にいる生き物から、子供に「こわい」という体験を学んでもらおうと思います。それはなんの生き物でしょうか?



そう!ゴキブリですね。



あのなぜか異様に黒光りする、人によっては「名前を呼んではいけないあの人」と同等の扱いを受ける方です。

まぁ大人になっても「私、ゴキブリ大好き!」って言う人はなかなかいないと思います。

私達が今のマンションに引っ越して、私は3度程目撃しました。そのすべてを撃滅したのですが、うちはリノベーションをしたといっても所詮は築30年のマンション。上下左右からあの方は侵入してくるわけです。中にはなかなかの大物もいました。嫁は目撃してすげー叫んでたけど。

人の住まうところにゴキブリは住まう。うむ、これはある意味真理だな。芦屋の高級住宅でも下町のゴミ屋敷でもゴキブリはいるのです。量の違いはありましょうが、いるかいないかで言ったらどちらも「いる」のです。多分。

さて私は家で3度程ゴキブリと対峙することになりましたが、あいにく娘はまだ見た事がありません。なのでこれ以上話の広げようがないので、かわりに私が子供の時にゴキブリで「こわい」体験をした事をご紹介しましょう。

確か私が小学生の時でした。私のド田舎実家では夏場の時は不用心もなんのその、喚起の為に風呂場の窓を全開にしていました。

そしておそらく外からも入ってきたりしてるんでしょう、一時期の事でしたが、ほぼ毎日の様に風呂場にゴキブリが先客としていらっしゃった時がありました。

当時の私は「またか……」と思いつつ素っ裸のまんま、シャワーでゴキブリを排水溝に流して、それから風呂に入るという、それがルーティンワークのようになっておりました。

時には2匹いたときもありましたが、私は素っ裸のまま、淡々と排水溝にゴキブリを流す作業をしていました。

そう、この時はゴキブリを見てイヤな気分にはなりましたが、ゴキブリを「こわい」と思った事はありませんでした。まだゴキブリに対して「こわい」と思う体験をしてなかったのです。

そんなある日、風呂場にはいつもの様にゴキブリがいたのですが、奴がいる場所が少々難儀なところでした。天井に近い側面の壁にべばりついていたのです。

シャワーをかけようとするもシャワーが一番届きにくい場所で、水圧を一番強くしても全く届きませんでした。実家のシャワー水圧はかなり弱いのです。井戸水くみ上げて使ってるから一度に出す水量に限度がありました。

そして私が思いついたのは、洗面器にお湯を貯めてそれをゴキブリめがけてぶっかける、というものでした。

ただしこれには危険も伴います。万一お湯が命中しなかったら、驚いたゴキブリはどこにいくか予測がつきません。壁面をうろちょろするならまだいいのですが、奴は滑空する能力も備えているのです。

これはかなり大きな違いです。飛ばないゴキブリが北朝鮮とするなら、飛ぶゴキブリはロシアみたいなもんです。雲泥の差です。ゴリ押しプーチン。

私は「お湯ぶっかけ」作戦(ネーミングセンスなし)を敢行するか迷いましたが、このままゴキブリを監視しづつけて風呂に入るのも気が落ち着きません。私は実行する事にしました。


私はお湯の張った洗面器をもってじりじり間を詰めます。頭上にいる奴めがけて「おりゃー!」とお湯をぶちまけました!



して結果!目標に命中せず!



「しまった!」私は心の中で叫びました。そして私は次弾装填する間も次にどうするか考える暇もなく、そんな私はあざ笑うかのように奴は「ブン!」と滑空したのです!そして奴は私にインファイトを挑んできました。



奴が止まった先は、なんと私の右側内ももだったのです!



しかもこっちは防御力ゼロの素っ裸状態。ゴキブリの足の感触が内ももに直に伝わり、そしてそこから電気が流れるように気持ち悪さと恐怖が体全体に伝わったのです。




「うわあぁぁぁ~!!」




私は声を張り上げてしまいました。もしおばけと会ったらこのくらい叫ぶんじゃないかな、と思うくらい叫んだよ。


すぐさまシャワーで流し、奴の感触が無くなったと同時に金縛り解除。排水溝の蓋を開けゴキブリを流しました。そして追いうちの如く、熱湯をしばらく流していました。

私の叫び声を聞いた母親が「どうしたん!?」と風呂場までやってきましたが、私はそれを素直に言う事ができず「なんでもない」と言うだけでした。あんだけ叫び声上げて何でも無い事ないのにな。

とまぁいかがだったでしょうか、私のゴキブリ恐怖体験。まぁ今では奴らに遭遇したら退治することはできますが、できればスルーして、私と奴らの人生が交わらない事を願っております。

久しぶりの更新がこんな長ったらしい文章になってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。お礼に皆様の人生と奴らの人生が交わらない様、ついでに祈っておきます。わはははは!

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